『不謹慎な経済学』(講談社)という本があります。
実は、2月の終わり(!!)にご献本いただいていたのですが(ありがとうございます!)、
ずっとふれることもできないまま
なんと今日まできてしまいました…。
申し訳ありません!!
田中さんとはまだ一度もお目にかかったことはなく、
田中さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/
で、私がNTT出版Webマガジンでやらせていただいてる
おすすめマンガ時評 「此れ読まずにナニを読む?」
について言及して下さっていて、
そのことをきっかけに
いろいろとやりとりさせていただくようになったのでした。
さて。
私自身は経済学にはまったく縁がないまま生きてきた人間なのですが、
『不謹慎な経済学』につけられたオビの
「常識のウソとデタラメを徹底的に暴く!」
という言葉に「おお〜」と心ひかれつつ目次を見ると、
「パリス・ヒルトンが刑務所で得たもの」
「人間関係が希薄化したのは、みんなが望んだからだ」
といった私にも入って行きやすそうな章や、
「官僚の天下り、本当は正しい!」
「ニートもハケンも、役人の利権を生むだけだ」
といった刺激的なもの、また、
「経済の安定は攻撃的ナショナリズムを和らげる」
という直感的にも首肯できるものなど、
非常に面白そうなものが並んでいます。
私は論理的にいろんなことを積み重ねて思考するのは
ニガテな方ですが、
「もともと宗教の縛りがうすい日本だけど、
生活基盤としての地域共同体(=世間)の縛りもかなりうすくなっちゃってる
いまの日本って、
なんか…お金が神様みたいだよねぇ…」
「でもなんか、それだけじゃダメなんだろうけど、
なにがダメか、うまく言えない…」
とぼんやり感じていたのでした。
そんな私は、
個人的には「はじめに」の以下の部分に非常に感動しました。
「お金がすべてはない世界」を創るために
と題されたこのまえがきで、田中さんは、
一般に経済学のイメージは「弱肉強食」化をすすめる、というものだろうが、
実は「アンチ弱肉強食」こそ経済学の意義であり、
「お金ですべての問題が解決するわけではない」ということを学ぶためにこそ、
経済学の存在意義がある、と宣言されます(な、なんだって――!!)。
「弱肉強食・お金がすべて的経済学」ではない、
アンチ弱肉強食の(田中さんが言うところの)「まともな経済学」は、
かなり現代の問題を考える上で示唆深そうではないですか!!
そして、その具体例として、
プリンストン大学教授のアラン・クリューガーが示した、
(「弱肉強食・お金がすべて的経済学」が考えた)
「民主的教育」や「経済的豊かさ路線」が、テロ撲滅には効果がない、という説をひき、
田中さんが考える解決シナリオ
<「テロリストのコミットメントには、お金でも教育でもなく、相手の立場になることで対処しよう」というもの(P.12)>
を、提示されています。
また、私個人としては、第4章で提示される
「双曲線的割引を行う人(=目先の小さな欲望にとらわれる人間)」
という言葉に目からうろこでした。
…それ、私のことデスよね?
…っていうか、
「ケーザイ学」に私のようなシロートが漠然と抱く
「それは生きてる人間のビビッドな行動基準に立脚してないのでは?」
「ってゆーか、そこで想定されてるほど人間ってリッパじゃなくね?」
「人間ってもっと気分とかで生きてるんじゃね?」
というアホっぽくも素朴な疑問のつぶやきが聞こえているかのように(?)、
「合理的経済人」を仮定しない最新の経済学(ジョージ・エインズリー『誘惑される意志』は、2006年のもの。NTT出版)が登場していることを紹介し、
一方で、
大正時代の経済学者・福田徳三の考えにもふれ、
その考えは谷崎潤一郎の作品に見られるような悪や非合理をも許容するデモクラシーに
なりうる、という可能性について語っておられます。
うーん、すごい。
縦横無尽、というかんじに
厚い専門知識を背景にしつつも斬新な切り口で
一般の人にわかりやすく書かれた
たいへん刺激的かつ面白い(文章も読みやすい)本だと思います。
…とはいえ、そこは経済学になじみのない私には、
後半は不勉強ゆえの知らない言葉が多かったり、という己の中のバカの壁(涙)があったりもして…
今日まで本書についてブログでふれることもできず、
申し訳ありませんでした…(田中さん、すいません…)。
示唆に満ちた一冊だと思います。
ご興味のある方、ぜひご一読を。


