この分野が苦手な方は、心の準備をしてお読み下さいませ。
…まあ、そんな方、私のブログを読んでくださる方には少ないと思いますけど…。念のため。
「男っていうのは、女が思っているよりずっと社会的な生き物だよ」
「少女漫画の編集をして思ったことなんだけどさ。本当に女の子っていうのは、あんなに年中、愛だの恋だのそんなことばっかり考えてるのかね」
これは、山本文緒の「少女趣味」という短編小説に出てくる台詞。主人公の中堅少女漫画家が、担当編集者の男性に言われる言葉だ。この短編は非常に優れた怖い話(「男をいたたまれない気持ちにさせる女の自己完結」の話って、怖くないですか…?)で、私にとってはもの凄く印象に残っている話。興味があるむきには是非一読をお薦めしたいです(「ブラック・ティー」角川文庫に収録)。
ところで、私もこの台詞には頷いた。
現実にはたいていの男にとっては、愛とか恋とかいうのは、たくさんある興味関心事の一つでしかないんじゃないだろうか。
少なくとも日本の大多数の社会人男性にとって、いくら恋愛至上主義の風潮がはびこっているとはいえ、おそらくは、仕事や趣味ほどには関心がない、というのが正直なところではないだろうか(古い考えか?)。
ボーイズ・ラブと呼ばれる「男性同士の恋愛をテーマとする、女性向け漫画・小説」という分野に出てくる男は、男といいつつ男ではない、という言い方がよくなされているが、私も何が違うって「男って、こんなに恋愛のことばっか考えてないよな〜」とよく思う(女でさえ最近はしばしば、恋愛のことばっか考えてるわけじゃないというのに)。
もちろんマンガは必ずしも現実そのもののリアルな反映である必要は全然ないし(むしろ夢的な要素が強く入り込みやすいジャンルだと思う)、「恋愛のことばかり考えてるようなキラキラした美形男性同士の愛が描かれている作品」というのも、娯楽としてはアリだ、と思う。ただ、年齢のせいかどうも今ひとつそういう今どきな作品にノりきれなかった私が、最近ずっとハマっている「ボーイズ・ラブ作家」、それが西田東である。
西田東はボーイズ・ラブ世界ではとびぬけてリアルな「フツーの男」を描く作家だと思う。極端な美形もあまり出てこないし、登場人物の年齢も社会人が大半で、「ボーイズ・ラブ」ジャンルの作家にしてはかなり高め。って言うか、全然「ボーイ」じゃないな(そういえば「彼の肖像」という作品が連載時のキャッチフレーズが「ほげほげメンズ・ラブ」だったのには笑った。「ほげほげ」って)。
登場人物は中年以降の「オヤジ」も多くて、しかもBLによくある「オヤジという設定だが内面は女の子」とか「オヤジという設定だが中身は若造」ということもなく、口調などもちゃんとオヤジっぽい。そんな登場人物が織りなす物語なんだけど、でもやっぱりこれは基本的に「女性向け」のラブ・ストーリーだなあ、と思う。
私が強くそれを感じ、かつ最も驚いたのが、「奪う男」という作品(同名の単行本に収録。竹書房刊)。
内容は大体、こんな話。
主人公の本多薫は営業マン。
その本多の前に、高校大学の同窓生・樋口が配属される。かつてバスケ部のレギュラーや部長の座、そして彼女まで、優秀な樋口は昔からいつも本多のものを奪っていった。その樋口がまたもや自分の目の前に現れ、今度は主任の立場まで脅かそうとするのか?と戦々恐々たる本多。
「なぜおまえはオレのものばっか欲しがる?」とキレる本多に「いつもマイペースで涼しい顔のあんたに、死ぬほど欲しいものが手に入らない苦しさなんてわからない!!」と言い返すエリートの樋口。そしてついに、職場に後から入ってきた樋口に役職を奪われることが決まった本多は、自棄になって樋口の自宅を訪ね、彼をおそう。
しかし、無抵抗の樋口に「いやがるのを屈服させたかったのに」と帰ろうとする本多に、樋口が「何もくれないなら、せめてコートくらいくれよ!」と思いを告白。いっぽうの本多も「なんだこんなコートなんか…おれを全部やるよ」とこたえ(!!)なんと二人はめでたく結ばれるのです。しかも、その後も上司となった樋口の下で本多は補佐をし、なんだかラブラブな雰囲気…というお話。
いや、この展開にはびっくりした。これぞ、ボーイズ・ラブマジック!と思いました。
繰り返しになるが、西田東の描く男たちは、そこらにいそうなサラリーマンだったりお兄ちゃんだったりする。
ふだんは愛だの恋だのばっか考えてるわけでもなさそうで、ちゃんと仕事して出世にもこだわったりする。
そんな男たちが、ギリギリのところでは何よりも(ときには男としての存在基盤であろう地位よりも)"愛"を優先するのだ。
そして、なんと愛し合った二人は、同じ会社で片方が片方の上司、という「日常的に(←重要)明らかに片方が優位にある、ということを誇示し続ける(され続ける)立場」になっても、それまでのこだわりを捨ててラブラブな関係を続けることが出来てしまうのだ。現実的に考えれば、部下になってしまう本多が、プライドをちくちくと刺激され続ける日々だと思うが、愛の力で、それはまったくとるにたらない問題になってしまうのだ。
…あ、ありえなくないですか?
これって他がなまじ比較的リアルなだけに、急転直下のすごいファンタジーじゃないだろうか。「奪う男」の「愛が、男としての社会性(=地位)を超える」という展開は、他が割にリアルなだけに、その「ありえないマジック」が際だったように思う。
もちろん、この「ありえねー」は、私にとっては「褒め言葉」だ。
ちゃんと地に足着いた男たちの、"愛"が優先順位第一位になる瞬間。
西田東の描く話の醍醐味の一つはそこにあり、そういう話を(ファンタジーとわかっていても。いや、ファンタジーだからこそ)私は楽しむ。そして、それを「娯楽」にできるのは、ひょっとしたら私が女だからかもなぁ、とも思う。たいていの男性にとっては、むしろ「悪夢のような怖い話」なんじゃないだろうか。これって、古い考え方なんでしょうか(むろん、西田作品の全部がそういう作品だというわけではなくて、上司と部下、といった最初から対等な立場ではない男達の話も多いので、むしろ「奪う男」に特異な点かもしれないんですけど)。
西田東さんは「奪う男」のあとがきマンガ「まんがみち」で、「やはり美しいのはカオとゆーよりホモぎりぎりの愛憎関係ですか」とタバコをふかすオヤジ(ホントに全然美形じゃないフツーのオヤジ)の絵にかぶせて書いているが、その「ホモぎりぎりの愛憎関係」というところに濃密な何かを感じる、というところが、古いタイプのマンガ読みである私の琴線に触れるのかも。
それって愛じゃん、と。
たしかに西田さんの絵はお世辞にも達者とはいえず、とても走りそうもない車とか、目玉焼きみたいな涙目とか、ものすごい絵がいっぱい出てきます。スーツのボタンもあったりなかったり。でもでも、そんなことが問題にならないくらい(いや、問題ですけど)、キラキラした美形以上の魅力を私は感じるのだ。
いや、もちろん美形もいいんだけどね。好きなんだけどね。ホントに。
なので日記でとりあげるのもちょっとためらわれたんですが(竹書房さん、是非再版かけてください!)、この単行本の収録作品が、ホント妙に私のツボにはまる作品が多いのです。「YOU GIVE」(いま皆さんにあらすじを説明しようと思ったら、所長とか本部長とかボーイズラブにあるまじき単語が多すぎて狼狽)、「総務にひとこと」(すごく好き。でもボーイズラブにあるまじきタイトル)「課長になったら」(ボーイズラブに以下略)など、いい作品が多いです。
特に「YOU GIVE」は、本部長(取締役。全然美形とかじゃないオヤジ)とクールぶってる所長の関係が、「そう思えばそう見えるし、上司と部下の範囲といえばそう言える」という絶妙のラインなので、かなりぐっときます。「部長の頭の中には仕事のことしかないんだよ 仕事以外の話したことないからな」「…なのになんで俺は時々勘違いしそうになるのかな…」というセリフが泣けるのです!…うう…。
…はっ、好きなあまりに、「ネットの片隅で西田東が好きだ!と叫ぶ人」になってますね、わたくし。
どうもすみません!
(最近「のだめ」しか読んでない。。マンガ読みたい!)
ネットで調べたところ、結構人気のようですね。
でもっ! 私はやっぱり美男子が好き!
>でもっ! 私はやっぱり美男子が好き!
…いや…私も決して嫌いなわけでは…。
私も西田東も好きですが、けして美男子が嫌いなわけでは…。そうですよね(笑)。
川原様はじめまして!^^
西田東について語っているレビューを求めて三千里、こんな面白いブログを発見できて嬉しいです。
私もきっと古い…、というか渋いタイプとのマンガ読みなのですが、そんな人でも美味しくいただける理想のボーイズラブ(※というかOSSANラブ)西田東。『スラムダンク』やら『空手バカ一代』やらの男くさい男に慣らされた女を満足させる!普通っぽさ。いいですよね西田東!
ところで、最近西田さんで楽しかったのは『仁義ナシ!』という読み切りの
「暇つぶしに捕まってくるなと何度言ったら…」
というセリフです。ああこんな二人が身近にいたらどうなの!…うん、微妙!
これからもおおいに語ってくださいませ!楽しみにしております!^^
川原様は同人誌もお読みになるんですね!ナカーマですね(笑)。あ、あの、もし支障がございませんでしたら、いつか川原様の同人歴などもあげてみませんか?どうでしょうか?マンガ世代が分かって楽しいかと…!(笑)
で、でもこんな立派で健全なブログじゃ駄目かしら…っ;ドキドキ。
それでは、おじゃまいたしましたっ。
はじめまして!コメントありがとうございます。
>こんな面白いブログを発見できて嬉しいです。
過分なお言葉、ありがとうございます!
感激です。
>そんな人でも美味しくいただける理想のボーイズラブ(※というかOSSANラブ)西田東。
OSSANラブ!!まさに!!
そうなんです、たとえば『目を閉じないで』の花田次長の、
ゆるめたネクタイ+「メガネでもおまえは充分アレだ!なんだ!しらんけど」と、「慰めたいけどキザなことが言えない」とゆー「OSSANの恥じらい」に萌え!
なんですよ!!
…って、朝からなにを熱く語っているのか私は。
す、すいません。
>「暇つぶしに捕まってくるなと何度言ったら…」
あはは!
ラストのオチもおかしかったですよね!
わたくしの同人歴なんですが、実は恥ずかしながら、あまり詳しくなくて…。
パロディにハマったのも、『キャプ翼』(の超初期)→『スラムダンク』、というものすごいブランク(オリンピックより間があいてます!)ぶりで、語るほどのものがないんです…。
機会があったら、いろいろご教示いただきたいくらいです。
楽しいコメント、ありがとうございました。
よろしかったら、また気がむいたときにでも見に来て下さいませ。
ふたたびおじゃましています。
「奪う男」(それにしても、なんてシンプルでかつ恰好いいタイトルなのでしょう)のYOU GIVEの部長なんて……絵を描くひとにとって、若い2枚目ならそう苦労せずに描けても、年配の男性を描くというのは容易ではありませんよ。
西田さんは絵がへたでしょうか?
たとえば、「絵が上手」だといわれているようなまんが家さんに年配男性(リアルで実がある)を描いてと頼んだら内心きっと困るにちがいありません。
大多数(?)のかたが描きがたいと思うようなものをああも描ける西田さんは、わたしはやはり絵のうまいかたなのだと思います。
新刊では「いちばんの愛」の社長が、とてもすてきでした!
コメントありがとうございます。
ちょっと長くなっちゃって恐縮なのですが…。
マンガにとっての「絵がうまいかどうか」というのは、
けっこう簡単には言えない、
難しい問題だとつねづね思っております。
というのも、
現実にあるものをそれらしく描く能力、デッサンに基づいた絵のうまさと、
魅力あるキャラクターを描く能力っていうのは、
まったく…でもないけど、
かなり違うものだったりするなあ、と思うのです。
特に、少女マンガ(とか、BL)においては。
デッサン的にきちっとしてても、魅力がない絵もあるし、
デッサン的にはでたらめだけど、
その世界の美学に乗っ取った完成度が高いと、
人によっては「うまい」という評価になったりする気がします。
少女マンガ的には、
昔から、たとえば
「こんなにアゴの尖った足の長い男はいない」
とかなんとか
意地悪く揶揄されつつも、
そういった美学の中での洗練を重ねてきていて、
その流れのなかで完成度が高い絵が描ける人を
「うまい」
って言う評価軸が、一つあるのではないかと思います。
…と、めちゃくちゃ長い前置きでした……。ごめんなさい!!
年寄りは話が長くてゴホゴホ……。
と咳き込みつつ、
西田さんの場合は、
classicalaaaさんもおっしゃっているように、
「中年以降の男性をそれっぽく描ける」という面において
すごくたけておられますよね。
そういううまさがある方だと思います。
あと、何といっても表情がうまい!と思ってます。
近年、ますますうまくなってきておられて、
個人的には
『天使のうた』などは凄みすら感じています。
ただ、興味がある部分とそうでない部分の絵の、
力の入り具合には差があるかも…とは思います(笑)。
でも西田さんの場合は、それも味なのでは、と感じてますが。
そこがある種の「ヌケ」になるというか。
誰にでもできることではないなー、とも思いますが。
そして実は、
発売中のユリイカ増刊『BLスタディーズ』という本の
『願い叶えたまえ』解題でも書かせて頂いたんですが、
西田さんは「マンガが上手い」んだと思うのですね。
同誌の西田インタビュー記事に
「ラクな仕事したい」という
非BL作品の図版が載っているのですが、
くどくど説明的しないのに、
「そうそう、仕事の大変さってこういうところなんだよね」
みたいなことをほんの数コマですごくうまくすくい上げておられて、
これを最初に読んだときは、
こういうのが「マンガのうまさ」の一部だよね!!と
コーフンしました。
……って、
なんか、長い割に分かりづらい説明だったかもしれませんが、
そんなふうに考えてます。
バタバタしていて、
レスが遅くなっちゃって、すみませんでした。
「絵がうまい」のと、「マンガがうまい」のとはたしかにちがうところですね。
マンガというものが絵で表現される以上、最低ラインの水準は必要でしょうが、川原さんがおっしゃっていたように、絵が、つまりデッサンなどが完璧でも、それでマンガがおもしろくなるかというとそれはまた別問題ですよね。
そこがほんとにマンガの不思議でおもしろいところだと思います。
川原さんは遠藤淑子さんというマンガ家さんをご存じでしょうか?
あのひともわたしが大好きな作家さんなんですけど、やはり「絵がへた」だといわれてしまいがちなかたです。
でもわたしはあの作家さんの「手で描いている」という感じがとても好きです。
ほんの小さい1コマのなかに楽しみを見いだせるというか。
そしてそれは西田東さんにもあてはまります。
または、もう亡くなってしまった花郁悠紀子さんとか。
彼女もけしてうまい部類には入らなかったかもしれませんが、「マンガを見る」楽しみをあたえてくれた作家さんでした。
不思議なのは、マンガ家さんが年月がたって「絵がうまくなった」といわれるようになってくると、逆に「マンガを画面で楽しむ」要素が減ってきてしまうように感じることです。
これはどうしてなんでしょうか?
コメントありがとうございます。
私も遠藤淑子さん、大好きです。
遠藤さんも、
うまいというよりはやっぱり「味がある」タイプの絵だと感じてます。
classicalaaaさんが
「手で描いてる」感がお好きとおっしゃるのは
わかる気がしますね〜。
そういう感じが伝わりますよね。
個人的には、
遠藤さんも「マンガがうまい」タイプなんじゃないかな、と
思っています。
>不思議なのは、マンガ家さんが年月がたって「絵がう
>まくなった」といわれるようになってくると、逆に「マ
>ンガを画面で楽しむ」要素が減ってきてしまうように感
>じることです。
ごめんなさい、実は、
具体的にclassicalaaaさんのおっしゃっている現象が、
どういう作家の方の、どういう作品についてなのかが
私の方でいまひとつイメージできてなくて、的はずれかもしれませんが…。
マンガ家さんはたいてい、描き続けるうちに
絵が変化していかれますが、
たいてい最初の方が絵としては荒削りで、
だんだん洗練されていくことが多いと思います。
比喩的に言うと、
アイドルとか音楽方面のアーティストが、
最初はヘタだったりあか抜けなかったりするけど
不思議な魅力を放っていたのが、
だんだん歌や作詞作曲・パフォーマンスなどがうまくなっていくことで、
かえってその「輝き」が、
なんだか減ってしまったように思えてしまう、
変な言い方ですが「フツー」になったように感じてしまう、
というような現象と似ているのかな?
と感じました。
……違いますかねぇ…(いまひとつ自信ないので小声で)。
ひょっとすると、
classicalaaaさんは「手で描いてる」感じがお好き、と
お書きになっておられるので、
マンガ家さんが描き慣れていくうちにだんだん洗練されて、
絵(線)が整理されてくると、
それが「手描き感」が薄れてくるように感じられて、
>「マンガを画面で楽しむ」要素が減ってきてしまうように感じられる
とおっしゃってるような「物足りない感じ」につながるのかも?
などと感じました。
でも私も、
マンガ家さんの絵があまりに上手くなりすぎると
マンガっぽい快楽がかえって減るように感じることって
あるのです。
そして、そのあたりは、
マンガ家さんご自身にもコントロールできないところも
あるのでは?とも推測しています。
人によっては、ある程度意識的だったりもするのでしょうが、
いちいち意識して絵は描けないでしょうから、
半分無意識なのでは、というか。
このあたりは、
絵の好き嫌いという問題もからんできて、
語るのが難しいところだと思います。
それにしても、「絵を(言葉で)語る」のって、本当に難しいですよね。
いつもそう感じてます。
力不足でわかりづらい表現になってましたら
どうぞ御容赦ください。