そのときに私が「不思議だと思ってるんです」とちょっとお話させてもらったのが、『デスノート』作画担当の、小畑健氏の絵の変化のことです。
以下、乱暴な印象に基づいたおおざっぱな話で恐縮ですが、つねづね感じてることを少しだけ。
小畑氏は前作『ヒカルの碁』のときに、初期の輪郭がくっきりしたいわゆる「マンガらしい」「マンガっぽい」絵から、後期になるに従い、素人目(私の目)にもリアルっぽい絵柄へと変化していったと思います。
『ヒカルの碁』の主人公であるヒカルの髪型って、かなり記号っぽいというか、「マンガのキャラ」としてはそんなに不自然ではないんですが、リアルに考えると非常に奇抜(黄色い部分と黒い部分に分かれてる!)なものです。
初期は全体がマンガっぽいタッチだったので、そんなに違和感はないですが、連載後期には全体の絵がかなりリアルになっていたので、不思議と言えば不思議な感じになっていたように思います。
『ヒカルの碁』を経てから始まった『デスノート』は、最初からかなりリアルな絵柄で始まっています。
全体には「現実っぽい絵」「リアル志向」が強い、と感じられる画風ですが、それでもキャラクターの「髪の描き方」なんかには、かなり「マンガっぽさ」が感じられます。
「マンガっぽいカッコよさ」を残しながら、しかし同時に背景等の緻密さとはあまり違和感を起こさないような「洗練」がほどこされているようにも感じられて、その
「リアルの水準のさじ加減」
が、なんだかとても面白いなあ、と思いました。
それと、美少女(ミサミサとか)はもちろんかわいく描いておられるんだけど、それ以上に、むしろオヤジとかを描く方に力が入ってる感じがして、そこも面白いなあ、と。月(ライト)の父・夜神総一郎とか、すごく丁寧に描いておられますよね。読んでて「小畑さんて、美少女よりオヤジ描くのがお好きなのでは…」と感じてしまいます(笑)。や、勝手な邪推ですけど。
全体としての絵柄のトーンやテーマでいうと、むしろ少年誌より青年誌にスライドされるのが自然なのでは?と思える変化にも感じられるんですが、でも一方で、なぜか「小畑さんは少年誌が似合う」ような気もするんですね。何故だろう。
そのある種の「少年誌っぽさ」と「青年誌っぽさ」との「ボーダーな感じ」が、絵柄自体の「マンガっぽさ」と「リアルさ」の混ざった感じともリンクしているような気がして、不思議で面白いなあ、と感じているのでした。
直接的な表現で恐縮ですが、あまりエロくない、というか。
もちろん、いいとか悪いとかじゃなくて、それが「持ち味」だという話ですが。
少年誌と青年誌の違いって、…あまり考えたことなかったですが、何だろう。
ま、単純に考えたら、「ターゲット読者の年齢」で切っているわけですが。
思いつくのは、「取り扱い注意」で、でも娯楽にとってかなり吸引力がある要素の「性と暴力」に対しての許容度が大人の方が高いので、青年誌の方が、「性と暴力」的要素を避けない作品が描ける可能性が高い、ということでしょうか。
きっと主人公の年齢とかも、青年誌の方が高いですよね。
…なんか考え考え書いているので、当たり前のことをとぎれとぎれに書いていて、恐縮ですが。
かわはらさんの視点はいつもとても面白いです。
絵の変遷の話、少し参加させてください。
『ヒカ碁』の髪の毛については
私も連載後期の頃、ちょっと考えてみたことがありまして(笑)
よろしかったら↓ 読みにくい文章で恥ずかしいですが。
http://www.toshonoie.net/iwaya/02/5_konishi.html#29
このときの結論は簡単でして
なぜ小畑さんは髪の毛にこだわるか→髪の毛描くの楽しいから。
なんです(単純ですいません(笑))。
でも、エロとしての髪の毛じゃなくて
あくまで画面構成のためと、やっぱり記号なんだと思います。だから、クールです。
フェチっても執拗でなくクール。
そこが絵が変わってからの小畑絵の魅力かなあと思います。
>かわはらさんの視点はいつもとても面白いです。
過分なお言葉、恐縮です!ありがとうございます。
>『ヒカ碁』の髪の毛については
>私も連載後期の頃、ちょっと考えてみたことがありまして(笑)
>よろしかったら↓ 読みにくい文章で恥ずかしいですが。
>http://www.toshonoie.net/iwaya/02/5_konishi.html#29
さっそく拝読させていただきました。
そうか、たしかに動きの少ない「碁」という題材に於いて、髪の毛は重要な感情表現のファクターですよね!!
目からウロコでした。
量の増減も、私にとっては「言われてみればたしかに!」という部分で、興味深く拝見しました。
>でも、エロとしての髪の毛じゃなくて
>あくまで画面構成のためと、やっぱり記号なんだと思います。だから、クールです。
>フェチっても執拗でなくクール。
あ。
たしかに、「クール」というのはホントに、絵が変わってからの小畑絵のキーワードですね。
絵だけじゃなくて、構成のせいもあるのかもしれませんが、どこか読者を「感情移入」させるというよりは「観客」にさせる方向へ進んでいる気がします。
非常に示唆深い書き込みをありがとうございました!!
たいへん刺激を受けました。
>>絵だけじゃなくて、構成のせいもあるのかもしれませんが、どこか読者を「感情移入」させるというよりは「観客」にさせる方向へ進んでいる気がします。
そうですねえ。
語り手ではあるんですが、絵的に冷静な演出をしてるから
なにかこう、どこまでいっても進行を見てる外部の目があるような・・
そういうことですかねえ。
でも、つんつん髪の毛が違和感、っていうのは
そこだけ素なんでは?(笑)
そのへんが小畑さんがいつまでもキュートな由縁・・とか(笑)
すごくいいかげんなこといってますね。すいません。
>語り手ではあるんですが、絵的に冷静な演出をしてるから
>なにかこう、どこまでいっても進行を見てる外部の目があるような・・
あ、そうですね。
『デスノート』には、特にそれを感じます。
>でも、つんつん髪の毛が違和感、っていうのは
>そこだけ素なんでは?(笑)
あ、それはありえますね!!(笑)
小西さんの文章を拝読して、『ヒカルの碁』のヒカルとアキラの髪型は、小西さんのご指摘どおり、「読者は二人の髪を見るだけで、彼らの住む世界の違いを一瞬で理解」できるもので、秀逸な設定だなーと改めて感じました!
そして、あの髪は、そこだけ「現実」とちょっと遊離したリアリティ(=髪型そのものが、マンガ的記号)なのでは…とも思いました。
記号、って言っていいのかわかんないのですが、あの髪型は、アニメで登場人物の髪の色が青かったりピンクだったりしても、作中で言及がない限りは「別に特殊な髪の色じゃなくて、便宜上」である、というのと同じようなものかな、と。
というのは、作中のリアリティの水準でいけば、ヒカルが髪を染める場面とかあってもいいはずなのに、まったくそれはない。
また、アキラも、現代の中学生がずーっとおかっぱ、ってのはかなりエキセントリックなことだと思うんですが、誰もツッコまないですよね(笑)。
でも、『ヒカ碁』後期になると、ものすごくアキラが大人っぽくなっちゃって、髪型とかなり違和感があった気もします…(この人はいくつまでおかっぱ!?とドキドキしました(笑))。
…って、なんかどうでもいいようなことにこだわってるようで恐縮です!!(いまさら…)
佐為やリュークのような楽しい「大嘘」を織り交ぜつつ、虚構とリアルを絶妙のさじ加減でまぜながら作画をされるのが小畑節なのかもしれませんねー。