マンガ評論家・コミックマーケット代表の米沢嘉博さんのお通夜に行きました。
夕方になっても、ほとんど嵐と言ってもいいような激しい雨と風で、最寄り駅まで歩く(徒歩20分弱)ことは、そうそうに断念。タクシーで駅まで行き、麻布十番駅で下車。
駅からお寺まで、要所要所に案内の人が立たれ、お寺に着いてからもたくさんの弔問者をスタッフが「ご記帳おすみでない方はこちらへ」「お焼香の方はこちらの列へお並び下さい」と手際よく誘導しておられるのを見て、さすが、と思いました。
私も傘をさして記帳の列に並びましたが、いざ順番がきて、記帳をするテントにはいろうと傘をたたむと間髪入れずに両脇からスタッフの方がさっ、と傘をさしかけてくださり、その行き届いたお心遣いと行動に内心、頭がさがりました。
記帳後、お焼香の列に並ぶため、再び傘をさして外に出ましたが、スタッフの方の、
「お焼香の最後尾、こちらになります」
という言葉に、なんだかコミケに来たみたいな錯覚に陥り、泣き笑いな心境に。
会場に入り、お焼香をして、奥様の(おそらくは泣きはらされた)顔を見た途端、胸がいっぱいになり、ただただ無言でお辞儀をして、その場を辞してきました。
雨にもかかわらずたいへんたくさんの方がいらしていましたが、スタッフの手際の良い誘導で、人の流れはスムーズで、コミケで培われたノウハウの成果を目の当たりにした気持ちでした。
コミケというのは「思いを形にする場」を提供してくれた、と個人的に思っていましたが、スタッフの方々のきびきびとした働きぶりも、広い意味で、米沢さんを悼む気持ちを形にしたものだったんじゃないかな、と思います。それも、とても美しい形で。
帰宅して、知り合いの方々のブログ、日記などを拝読して、それぞれの方がそれぞれの形で米沢さんの死を悼み、だけどいたずらに悲しみすぎることなく受け止めておられる姿に、静かな感銘を受けました。
スタッフの方々が、悲しみを秘めながらもご自分の持ち場を淡々とこなされていたように、私も(コミケに売り手として参加したことさえないけれど)、私のいる場所で、私に出来ることをやりたいな、と思えてくる。そんな一日でした。
私は米沢さんと直接お話しさせていただいたことは本当に数えるほどしかありませんが、2004年に、数名の方々とベネチア・ビエンナーレを見に行った際に、少しだけお話しさせていただいたりしました。
ベネチア滞在中、何度か宿から会場に通うなかで、たまたまてくてく一人で歩いて会場に行く途中で、海に釣り糸を垂らしておられる(!!)米沢さんに遭遇、「えー!!米沢さん、ベネチアで釣りですか!!」などと言いつつ、そのお姿を激写させていただきました(この写真、のちほど、ご本人宛に送らせて頂きました)。
出展作家なのに、なんだかのんびりと鷹揚な雰囲気で釣りをなさっていたお姿が、とても心に残っています。
私にとっての米沢さん(もちろん、私なんかに見えていたのは、ほんのほんの小さな一側面だけだと思いますが)は、どんな状況でもいつも飄々と、そしてニコニコなさっている方でした。コミケという巨大なイベントを作り育て、また代表者としてのお仕事をなさるうえで、米沢さんのそういった資質(あるいは存在そのもの)が、とても大事なことだったのかも、と勝手に感じています。そういう部分は、やろうと思ってできることとはまたちょっと違う、「資質」とか「器」としか言いようがないところであるだけに。
うってかわって快晴となった翌日の告別式には事情で参列できませんでしたが、ブログ等で様子を知る限り、とても暖かく、よいお式だったようです。
心からご冥福をお祈りいたします。