人によって感じ方が違うので。
ところで私は、女の人の大きな胸を表現する「巨乳」という言葉が、実はけっこう嫌いじゃないです。
おそらくは男性誌から出てきた言葉じゃないかと思うんですが、なんというんでしょうか、性的な視線を元に出てきたと思われる言葉にも関わらず、
「大きい乳だから、巨乳」
というあまりにそのまんまで即物的な表記が、たとえば昔の「ボイン」(死後)みたいな言葉から感じられた「スケベオヤジのニヤニヤ笑い」的ニュアンスを、はからずも取り除いちゃってるような気がするのです。
「大きいですけど、それが何か?」
って感じすらして、いっそすがすがしいというか。
…とはいえ、それはあくまで私の個人的な感じ方。
違うとらえ方のほうが一般的な気もします。
不愉快に感じられたら、ひらに御容赦を。
さて、最近、「巨乳」の女の子が出てくる少女マンガを読みました。
でも、このヒロインのおかれてる境遇は、あんまりさばさばとしたものではないみたいです。
その作品は、コレ。
八田鮎子『ひよこロマンチカ★』(集英社)所収の「スイカジュース」。
(今回は、ネタバレありです。すいません)
男の子にモテモテの女子高生・水華(すいか)。
でも、モテてもぜんぜん嬉しくない。
それは、あからさまに、彼らの目線が自分の「胸」(Fカップ!)だけにむけられてるから。
モテてるのは、あたしじゃなくて、この胸、と思うスイカ。
そんなある日、写真が趣味の上級生男子・福谷から、「生きた芸術」と絶賛され、「ぜひモデルになって欲しい」と言われます。
喜んで承諾するスイカは、いつも憎まれ口をたたき合うクラスメートの男子・大同から、なんでOKしたのかと尋ねられ、口には出せずにこう思います。
うれしかったんだもん 男の人が
「あたし」のこと そんな風に言ってくれたなんて
自分は胸のおまけだっておもいはじめてたから
ところが、先輩がHPに公開したスイカの写真が、予想外の騒ぎをまきおこしていくのでした。
★★★★★
3月2日のエントリ「マンガ同人誌 解釈共同体のポリティクス」
http://mangalove.seesaa.net/archives/20070302-1.html
において、私は金田淳子氏の同論考で感銘を受けた一部分を引用しました。
それは、こんな文章でした。
> やおい論のなかには、やおいを性からの逃避、あるいは
> 女性嫌悪とみなすものがあった。しかし厳密にみれば、
> やおいにおいて回避されているのは、性や女らしさでは
> なく、女性を性的対象としてみる(性的対象としてしか
> みない)まなざしではないだろうか。(p.177)
女性を性的対象としてみる(性的対象としてしかみない)まなざし。
それはまさしく、この「スイカジュース」のなかで、スイカが浴びているまなざしのことではないかと思います。
★★★
結局はバストの大きさをウリにした写真を公開され、周囲からもひやかしや好奇の目で見られ、スイカは
「やっぱり男にとってあたしは胸のおまけでしかないんだ」
と傷つきます。
でも、スイカの写真のおかげで進路が開けた、と喜ぶ福谷を目の前にすると、スイカはつい、笑顔でお祝いの言葉を口にしてしまう。
しかし、その場でスイカのかわりに怒ってくれたのは、ケンカ友達の硬派男子・大同でした。
写真を撮った福谷の胸倉をつかんで、大同は言います。
「他がどんだけ喜んでもなぁ
撮られた本人は傷ついてんだよ
そんな写真なんてクソだからな!!」
と。
★★★
本人の思惑とは無関係に、性的な視線で見られてしまうことにひそかに傷ついていたスイカ。
そんな彼女の内面をわかってくれ、うまく怒れなくて作り笑いをするスイカのかわりに怒り、かばってくれた大同。
王道と言えばとっても王道なお話です。
でも、今の高校生の女の子は、たとえば私が高校生だった20年前(!!)よりずっと、「性的な視線」を浴びることがトーゼンのようになっていることを考えると、ああこんなふうにかばってくれる男の子がいたら、本当にいいなぁ、とっても救われるよなぁ…と思いました。
★★★
大塚英志氏は、「『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代」(ちくま文庫)で、70年代に『りぼん』で人気があった「乙女ちっくまんが」の恋愛観について、
「恋愛の成就が単に「好き」という告白に対しイエスと答えることではなく、誰にも理解されない私の内側を理解してくれることである、という乙女ちっく派に共通とも言える恋愛観」
(p.132)
というふうに指摘されています。
恋愛の成就は、誰にも理解されない私の内側を理解してくれること。
そんな恋愛観が、30年後のこの作品にも息づいてるんだなぁ…とも、しみじみと感じました。
ちなみに、単行本の表題作である「ひよこロマンチカ★」は、
学校ではお笑い担当だけど実は隠れ乙女っ子の日和(ヒヨ)が、
モテ男子なのに「運命の相手との恋」を信じる乙女な恋愛観をもつ内藤と、
奇妙な「運命の出会い」をしてしまって…!?というお話。
いまふうののびのびした絵柄で、古式ゆかしき(?)少女マンガのテイストをちりばめつつ、またときにはそのことをギャグにしつつ、「少女マンガらしい」作品になってます。
そういえば、いつかたったひとりの人と運命の恋に落ちることを夢見てるモテ男子・内藤くんも、広い意味での「乙女系男子」かも。
『ひよこロマンチカ★』、作者の八田さんの初コミックスです。



きょーこと申します。
楽しくブログやってます。
また遊びに来ます〜
自分からは手を出さないジャンルのマンガの紹介、ありがたく拝見しております。
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↑これ自体が、矛盾でありわがままである、と判断してしまう俺
…女性というものを一生理解できそうにないなぁ。
>↑これ自体が、矛盾でありわがままである、と判断してしまう俺
たかさん、ここで言う「私の内側を理解」って、その子を丸々理解するとかじゃなくって、おっぱいだけしか見ない男子の「性的な視線が鬱陶しい」と思う気持ちとか、そういう部分的な気持ちだけでも理解してくれたから嬉しい、といったあたりのことなんじゃないかと思ワレ。
>“誰にも理解されない私の内側を理解してくれることで”
>↑これ自体が、矛盾でありわがままである、と判断してしまう俺
わはは。
私などは、小学生時代に『りぼん』の「乙女ちっくまんが」を本気で読み過ぎてしまい、いつか「そのままの君が好きだよ、と言ってくれる人が現れる」みたいな価値観を無意識に刷り込まれてしまった世代なのかもしれません。
いやー、現実は、全然違ってたんですけどね!!
…というようなことを、かつてnikkei netの連載で書かせて頂いたことを思い出しました…。
よろしかったら、ご覧くださいませ(心が…痛い!!)。
http://woman.nikkei.co.jp/culture/lecture/lecture.aspx?id=20050101sb296sb
>通り姿さま
コメントを拝読して、
「うまく言葉にしづらいような微妙でデリケートなことを、自分以外の人が理解してくれる」ことが、なぜこんなにも人を救われた気持ちにするんだろう…と考えてしまいました。
特に、女の人にとっては、これ(理解と共感)って、重要なことなんじゃないかなぁ、とも、改めて感じたり。
この作品では、ヒロインのスイカちゃんが、傷ついてるのに、そのことをうまく表現できない、という部分にもいろいろ考えさせられました。
怒りや悲しみを上手に表現するのって、大人になってもすごく難しいですよね。
「気持ち」をリアルに疑似体験させてくれるから、マンガってすごい…とも思いました。
…と、いただいたコメントに触発されて、気づくとなんだか勝手なことを書き連ねてしまって、恐縮です。
コメント、ありがとうございました。嬉しかったです。
男の場合は性的魅力以上に学歴やら収入やらだけど。