こちらの連載に、足立淳「人間噂八百」というマンガがあります。
毎回、ある人物に焦点をあてて、さまざまなウンチク(ときに怪しげなものも含まれたり…)が語られる四コママンガです。
さて、この最新号・第40号にて、作詞家・阿久悠氏をとりあげているのですが、
最終ページにて突如、
「阿久悠がいなければ 日本にやおいとかBL(ボーイズラブ)の小説は生まれなかったと思うのよね」
との発言が……ッ!!
その理由とは、「人間噂八百」によるとだいたい、以下のようなものです。
いわく、
1975年に、「悪魔のようなあいつ」という沢田研二主演のドラマがあったのですが、
このドラマに触発され、
パロディ小説を書いていたのが中島梓(栗本薫)である。
そのドラマの原作は、コミックとして女性誌に連載されたのだが、
このコミックの原作者が、阿久悠(作画は上村一夫!)だったのです。
で、推理小説家としてデビューした栗本薫が、
趣味で書いていたこの路線のパロディ小説をこっそり出版したら、
意外なヒットに。
それがのちの、やおい・BL文化につながった。
だから、
「「やおい」の生みの親の生みの親は阿久悠!!」
ということらしいです。
………な、なんだって――!!!
………え、えーと、
もちろん、まったくの嘘ではないと思いますが
(おぼろげながら私にも、中島先生が「悪魔のようなあいつ」に言及されていたのを読んだような記憶があります)
……しかし、えーと、なんだか、確信犯的な飛躍がある気がするのですが(笑)。
いや、面白いんですけどね。
個人的には、
「悪魔のようなあいつ」なかりせば「やおい・BL小説が生まれなかった」
ってことはない(笑)だろうなー、と思うのですが、
「やおい・BL小説や文化を生み出すきっかけ(遠因?)の一つを作った」
とは言えるんじゃないかな、と思います。
……いや、まさか阿久悠さんのお話から、
そんな展開になるとは思ってもみなかったので、、
ちょっとご報告まで。
★★★
「えー、その『ガンボ』、読みたい!!」
「でも入手できてない!!」
というそこのあなた、
ダイジョーブです!!
なんと、『コミック・ガンボ』は、最新号をネットで読めるようにしてくれているという太っ腹さ!!
いますぐ、『ガンボ』HP↓へ、アクセス!!
http://gumbo.jp/pc/
そして、
「作品一覧」→「人間噂八百」→「読む」をクリックすると、
ネット上で読めるのです……!!
……って、
なぜか、ふと気づくと、
頼まれもしないのに宣伝口調になってる気がしますが(会社員時代、元広報担当者だった悲しき習性?)、
ご興味のある方はぜひどうぞ。
『真夜中の天使』と『悪魔のようなあいつ』の関連について、中島先生は、阿久悠の原作ではなく、久世演出と美貌の絶頂期にあったジュリーに「萌え」たと、たびたび語っておられます。
(↓中島先生のWeb日記・久世光彦追悼文)
http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2006-3-4.html
中島先生がやおいの開祖的立ち位置におられることについては異論ないのですが、『人間噂八百』の最後の4コマは時系列が明らかに間違ってますし、結論としては強引すぎますね。
この漫画は編集者の石川誠壱氏がネタ出しされているようですが、ちょっと知識に偏向があるのかなと。
長文失礼致しました。
コメントありがとうございます。
>(↓中島先生のWeb日記・久世光彦追悼文)
>http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2006-3-4.html
ご教示ありがとうございます!!
おお、中島先生ご本人がおっしゃってますね。
私の方にも、
複数の研究者の方などから、
「久世光彦によるテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』が
栗本薫(中島梓)に火を付けたのは事実です。
デビュー前からデビュー直後に書かれた「今西良」シリーズ
(『真夜中の鎮魂歌』、『真夜中の天使』、『翼あるもの』)
がそうです」
「そのあたりのことは、
『タナトスの子供たち』に詳しく書いてあります(単行本p153〜)」
といったご指摘をいただきました。
私もちゃんと裏付けをとろうと
『美少年学入門 増補新版』
を取り出していたりしたんですが、『タナトス…』の方だったんですねー。
お恥ずかしい。
>『人間噂八百』の最後の4コマは時系列が明らかに間違ってます
えーと、
『comic Jun』(のちの『JUNE』創刊号)が、1978年10月号。
『真夜中の天使』の刊行が1979年。
ということは、『JUNE』創刊号が出た後(翌年)に、
『真夜中の天使(まよてん)』が発行されてることになりますから、
たしかに、『人間噂八百』の、
「『真夜中の天使』ヒットの流れで『JUNE』創刊」説は
しらたまさんのご指摘どおり、
時系列的には逆ですねー。
>結論としては強引すぎますね。
あはは、でもこの視点はすごく面白い!!と思いました。
毎回「ガセの○(回目)」という表示があるし、虚実とりまぜて〜、みたいなスタンスの連載でもあるようですね。
そういえば、『悪魔のようなあいつ』を観た、という研究者の方から、
「ジュリーの布団に入って残り香を楽しむ藤竜也とか、
妄想の余地がないくらいの確かな演出で、
久世光彦は「やおい」の叔父さんだと確信しました」
とのご発言があったのですが、
『「やおい」の叔父さん』
というのはいい表現だなーと思いました。
阿久悠さんも、「親の親(=祖父)」は言い過ぎ(笑)にしても、『やおいの叔父さん』のお一人ではあるんじゃないかなー、というのが個人的な感想です。
私も「ガセ」とわざわざ銘打っている漫画に目くじら立てるのも…と思ったのですが、いかんせん、このテのことには口を挟まずにいられない『comic JUN』リアル愛読世代なのです。お恥ずかしい(^^;
『悪魔のようなあいつ』は現在レンタルDVDで容易に借りられますので、川原様も未見でしたら是非!ご覧下さいませ。
わー、さっそくのお返事、またまたありがとうございます!!
>私も「ガセ」とわざわざ銘打っている漫画に目くじら立てるのも…と思ったのですが、
あ、いえいえ、さまざまな論拠を挙げて頂きながらの節度あるご指摘、
とっても勉強になって、ありがたかったです!!
しらたまさんの大人な態度、私も見習わせていただきたいと思います。
>『悪魔のようなあいつ』は現在レンタルDVDで容易に借りられます
ギクッ…実は未見です…!!
なんだか、どんどん見たくなってきました…!!
『人間噂八百』担当編集者の者でございます。
こと「やおい」「BL」等につきましては、
私には多少の文献的な知識・情報があるとはいえ
あくまでも岡目八目、
このように、そのことの当事者でおられる皆様から
貴重な御指摘をいただけるのは、
非常に有難いことであると喜んでおります。
今回の『阿久悠のまき』に関しては、
まだ阿久悠氏が亡くなられる前だった本年6月の、
私のブログでの記述が元になっています。
http://plaza.rakuten.co.jp/ishikawasei1/diary/200706110000/
http://plaza.rakuten.co.jp/ishikawasei1/diary/200706110001/
http://plaza.rakuten.co.jp/ishikawasei1/diary/200706110002/
上記の内容にもある通り、
この件についての久世さんの存在は、
もちろん重々承知していましたが、
「あえて、隠蔽しました」。
あえて、「阿久悠が親の親!」という強引な結論に持って行って、
世間を驚かせる、という方向を選択いたしました。
(ですから「間違っている」「強引である」という御指摘を受けるのは
半ば当然のことであろう、と考慮していました。
それも含めての『ガセの三十八』なのです。)
それは、作品の性格上、または掲載誌の性格上、
『久世光彦のまき』は成立し難かろうけれども
『阿久悠のまき』なら成立し得る、
では、その中で、どうにか「やおいの発祥」についての話題が
展開できないか…と考えた上で、
無理に強引な結論へ落とし込むことで
このネタを成立させた、という事情もありますが、
それ以前に、まず、「久世光彦が、やおいの発祥」では、
何と申しましょうか、
アタリマエすぎませんか。
「やおいは、阿久悠が発祥!」と断言する以上の
インパクトに欠けます。
そう、けっして間違っているわけではないけれど
正確なわけでもない、
インパクト重視で御機嫌を伺うのが
当方の「ガセ漫画」の使命と心得ております。
(それは『悪魔のようなあいつ』放映当時に、
すでに二十歳を越えていた中島梓さんを
あえて「少女」と表現したこととも同根です)
「JUNE」の創刊と
『真夜中の天使』刊行は時系列が逆、と言われれば
それは確かに、その通りなのですが、
そこには中島さんと佐川さんの古くからの交流、ということがあるわけで、
ですが「久世光彦」の名前を出すことも難しい状況で
「佐川俊彦」の名前まで出すことは、さらに難しい。
そのあたりまでも包含させて「この流れで」という言葉で
表現しようとしたつもりなのですが、
それが誤解を招くようならば、
単行本化等の機会には、
この部分は「小説JUNEの創刊」と改訂いたします。
それで、どうにか御容赦ください。
長々と、失礼いたしました。
わざわざ「ガセ」と銘打って連載されているのは、一般読者の興味を喚起するための方便として、多少の潤色をしたり、わざと面白いオチへ誘導する意図と了解しております。
私個人としては、『Comic JUN』創刊の原動力はアマチュア時代の中島作品ではなく、『風と木の詩』等の少女漫画の影響に因るものと考えます。
(ワセダミステリクラブの後輩である佐川編集長が創刊時に中島先生に相談し、彼女の全面的なプロデュースを得た話は有名ですが)。
ここでご注意いただきたいのは、当時「やおい」という名称はなくても、すでに『風木』等の作品を熱烈支持する、そのスジの少女層が顕在化していたという事実です。
そのため、「まず中島先生の小説ありき」でやおい少女が生まれ、やおいブームが起こったかのような論法に非常な違和感を覚え「強引な結論」と申し上げた次第です。
川原様が別コメントで書いておられますが、「阿久悠氏をやおいの遠縁のお一人に数えてもよい」という認識には異論ございません。
最初のコメントでは、石川様に失礼な物言いとなりました。
お詫びいたします。
「阿久悠がいなければ
日本に「やおい」とか「ボーイズラブ」の小説は
生まれなかったと思うのよね」
と、
これは「小説」に限った話なのである、と
強調しているわけなのですが、
そこは伝わりづらかったでしょうか?
また、
>「まず中島先生の小説ありき」でやおい少女が生まれ、やおいブームが起こった
とも言ってはいません。
あくまでも
「同じ性癖を隠し持っていた日本中の女性が一斉に反応して」
と表現しております。
>すでに『風木』等の作品を熱烈支持する、そのスジの少女層が顕在化していたという事実
そのことは、私も認識しておりましたので、
「同じ性癖を隠し持っていた日本中の女性」
という言い方になりました。
もともとのブログでの記述から、
私は
「BL系の全般でいえば、
先行する形としては萩尾望都の漫画があったんだけど、
「やおいパロ小説」に関しては栗本薫が先駆者。それは間違いない。」
と記しているわけですから。
http://plaza.rakuten.co.jp/ishikawasei1/diary/200706110002/
(竹宮先生については触れていませんが。)
よろしければ、萩尾望都先生を契機に
「やおい少女」が生まれた、という事実に
遠回しに遠回しに触れられている
『ガセの二十 斉藤由貴のまき』なども御参照ください。
わわ、私がもたもたしていて、
レスが遅くなり失礼いたしました!!(土下座)
お二人のやりとりを拝読しているうちに、、
なぜ、私のようなうっかり・ぼんやりした人間(うっかり・ぼんやりしてるんです…)が、
しばしば、「やおい」の話をしているうちに
混乱してしまいがちなのか、ちょっとわかりました…!!
それは、
「やおい」という言葉が、
「パロディ(やおい)」として使われたり、
「オリジナルもパロディもひっくるめた総称」として使われたりもするからなんだなー、と。
定義が文脈によって変わったりするので、あいまいになりがちなんですよね。
さらに、メディアとして、大きく分けると、
「マンガ」と「小説」の二種類がある、
というのも、さらに混乱に拍車をかけますねー。
むむ。
気をつけます!!
> 石川誠壱さま
改めまして、はじめまして。
ていねいなコメントをありがとうございます。
大変興味深く拝読いたしました。
>そう、けっして間違っているわけではないけれど
>正確なわけでもない、
>インパクト重視で御機嫌を伺うのが
>当方の「ガセ漫画」の使命と心得ております。
この「ギリギリ嘘にならない、ちょっとあやしいインパクトのある面白い飛躍」
を、読者も楽しんでね、というスタンスは、私も了解しており、
今回はまさに石川さんの狙いどおり(笑)、すごく楽しませて頂きました。
そして、
>それ以前に、まず、「久世光彦が、やおいの発祥」では、
>何と申しましょうか、
>アタリマエすぎませんか。
このご指摘には、思わずウケてしまいました。
私は久世さんも阿久さんも『「やおい」の叔父さん』かなーと思いますが、
たしかに久世さんは近親者で、
阿久さんは遠縁かもしれませんね(笑)。
私としましては、
「やおいの、遠縁の叔父さん」である阿久さんをあえて
「親の親」と主張することでインパクトをねらう、
というご連載のスタンスも理解しているつもりですし、
決して「不正確!!」と糾弾しているわけでも、
するつもりもありません。
なので、「ガセの三十八」は、これはこれとして
「ちょっとあやしいけど、面白い一説」として
このままでもよいのでは、と個人的には思います。
その上で、以下はあくまで私の個人的な意見なのですが…
(そのつもりでお読みいただけると幸いです。そして、ムダに長いです…どうか、お許しを…)。
・栗本(中島)さんが、最初期のパロディやおいを独力で書かれたこと
・それがのちに、『真夜中の天使』等の一連の作品として世に出たこと
(これらは「人間噂八百」でもふれられていますが)
は事実なのですが、 しかし、
・『真夜中の天使』 が「悪魔のようなあいつ」に触発されて書かれた小説(パロディ)であることは、
言われないと読者にはわからないことだったので、
読者はこれをオリジナル小説として受け止めていたのではないか
と思うのですね。
なぜここにこだわるのかと申しますと、
「パロディやおい小説」の隆盛に影響、という意味では、
むしろコミケの流れが大きいのではないかなー、と
感じるからなのです。
もちろん、両者はお互いに影響を与え合っていたり
読者層も一部ではかぶっていたりもするかと思うので、
そんなに厳密に分けられる話ではないかもしれないのですが。
つまり、
●中島さんが最初期に独力で「パロディやおい小説」(=『真夜中の天使』)を書かれたこと
と、
●「パロディやおい小説」の隆盛に影響を与えたこと
とは、 分けて考えた方がいいのではないかなー、と思ってしまうのです。
読者はおそらく、『真夜中の天使』を、(パロディではなく)「オリジナル小説」として読んでいたと思うので。
なので、「人間噂八百」<阿久悠のまき>の最終ページ
「憎みきれないろくでなし」の3コマ目、
「栗本薫のマネをして男と男のパロディ小説を書く人が次々と現れて…」
という部分については、うーん、もうちょっと検証してみないと
わからないのではないかなー、
と思っております。
……って、ひー、
わ、我ながらいろいろ、細かくてすいません……!!
もちろん、初期の「オリジナルやおい小説の書き手を作った」という意味では、
『JUNE』誌上で「小説道場」をなさっていたことも含めて、
中島さんの多大な影響や功績があることは、自明だと考えております。
………うわー、しかし、コメント長すぎですよね。
まとめるのがヘタで、本当に申し訳ありません。
私自身、詳しい方にいろいろお話を伺いながら
「そうだったんだ!」という発見の日々なので、
説明がまだまだたどたどしくて、恐縮です。
「阿久悠のまき」でのご指摘はすごく面白くて楽しませて頂きましたし、
個人的にもいろいろ発見があって、
たいへん勉強になりました。
改めてお礼申し上げます。
ところで、私自身、
コミケの流れというのは重要だと思いつつも、
書籍などとは違い、
コミケが「イベント」という保存できないものである、という性質上、
流れをつかむのが難しいなー、とつねづね悩んでいるのですが、
『コミックマーケット30'sファイル』という本が(有)コミケットから出ていまして、
この本のおかげでいろいろなことがわかって、助かっております
(コミケの第1回は、1975年12月21日開催、ということも、ここで確認できましたー)。
なにかのご参考までに。
週刊誌連載を抱えてお忙しい中、
ていねいなコメントをいただきましたこと、
改めてお礼申し上げます。
川原様のコメントで気づきました。
確かに、石川様と私の間で 「やおい」 という単語の使用法に齟齬があります。
石川様は 「やおい=何らかの原作に基づいたホモパロディ」 と定義した上で、
更に 「小説と漫画は違う流れで派生している」 というお考えのようです。
一方私は 「やおい=二次創作を包括する、ホモセクシュアルテーマの全作品」
という定義でコメントを書いており、かつ、やおい文化の成り立ちを、小説と漫画で
別ものとして切り離せるとは考えていません。
スタート時の前提が違うので、話がすれ違うわけですね。反省。
というわけで、私も 「二次創作対象」 かつ 「小説」 の視点で、
もう一度自分の考えを整理してみます。(以下、敬称略)
1975年コミケット発足以降、規模は小さいながら地方でも同人誌即売会は
開催されています。
その初期時代から、萩尾竹宮ラインを真似た男子寄宿舎もの、外国人ロック・
ミュージシャンをモデルにしたもの、ガッチャマン等のアニメパロ、といった
二次創作同人誌は存在していました。
その中には漫画以外の、いわゆる 「字書き」 の人もいました。
また、中島梓は 『comic JUN』 創刊前から、竹宮恵子を通じて何人かのデビュー
前の漫画家(村田順子や高野文子など)と交友があり、当時の同人誌即売会の
雰囲気をよく御存知です。
ゆえに、 「小説に限った話」 という但し書きを付けたとしても、
“ まだ世の中にやおいもBLも存在してなかった時代 ”に中島梓が
“ やおいを発明し ”、
“ その後は栗本薫のマネをして男と男のパロディ小説を書く人が次々と現われ ”た
という順序で書かれることに私は賛成できません。
また、二次創作小説のうち、
いわゆるナマモノ(実在の芸能人などをネタにする)系の土壌となったのは、
『JUNE』 のライバル誌 『ALLAN』 の読者投稿コーナーですし、
漫画アニメ系に至っては、同人界で集団感染的に伝播していったものです
(アニメ誌 『OUT』 の役割も大)。
実際に栗本薫の影響を大きく受けたと思われる人達( 『小説道場』 の門弟の
方々・後にプロとなった人多数)は、オリジナル小説を書いていますので、
その意味でも
“ 栗本薫のマネをして男と男のパロディ小説を書く人が次々と現われ ”た
という表現は正しくありません。
(もちろん、私のようにJUNE、ALLAN、OUT全誌の愛読者かつ同人活動も
してたって人間もいるわけですから、当然お互いの干渉はありますが)
なお、中島梓のアマチュア時代の処女長編は、70年〜71年に書いた
野球やおい物の 『背徳』 (主人公はG軍のT田)。
その後、 『元禄無頼』 といったオリジナルJUNE作品をはさんで、75年に
何十作目かの作品として 『旧・真夜中の天使』 を書いています。
従って、ドラマ 『悪魔のようなあいつ』 がなければ中島梓が二次創作をしなかった
かもしれないという想定も、実は成立しません。
以上、私の違和感の根拠を書かせていただきました。
これは個人的な感想であって、別に訂正を求めているわけではないのです。
石川様におかれましては、こういった瑣末事に拘る読者もいるのだな、程度に
お考えください。貴誌のご清栄とご発展をお祈りいたします。
川原様、長文のコメントが続くことになってしまい、ご迷惑をおかけしました。
わかりやすいまとめとご指摘、有難うございます。
詳細なコメントをありがとうございます!
> 一方私は 「やおい=二次創作を包括する、ホモセクシュアルテーマの全作品」
> という定義でコメントを書いており、かつ、やおい文化の成り立ちを、小説と漫画で
> 別ものとして切り離せるとは考えていません。
そうなんです。
しらたまさんがおっしゃっている、
>「やおい=二次創作を包括する、ホモセクシュアルテーマの全作品」
という
●広義の「やおい」という言い方(オリジナルの、「BL(ボーイズラブ)」含む)
と、
●狭義の「やおい」(=二次創作の、男性同士のラブストーリー)
という使われ方があって、ヒジョーにややこしいんですよね。
さらに、小説とマンガというメディアの違いもあって、
ややこしさに拍車がかかってしまいます。
> 1975年コミケット発足以降、規模は小さいながら地方でも同人誌即売会は
> 開催されています。
> その初期時代から、萩尾竹宮ラインを真似た男子寄宿舎もの、外国人ロック・
> ミュージシャンをモデルにしたもの、ガッチャマン等のアニメパロ、といった
> 二次創作同人誌は存在していました。
>その中には漫画以外の、いわゆる 「字書き」 の人もいました。
このあたりのことは、私もうっすらとしか知らないので、
大変興味深い証言で、勉強になります!
> また、中島梓は 『comic JUN』 創刊前から、竹宮恵子を通じて何人かのデビュー
> 前の漫画家(村田順子や高野文子など)と交友があり、当時の同人誌即売会の
> 雰囲気をよく御存知です。
おおー、そうなのですか。
もしさしつかえなければ、これ、何に書かれていたことかお教え頂けますと大変助かります。
(ハッキリ特定できなくても「たしか●●で読んだような…」という程度のことでもかまいません)
>いわゆるナマモノ(実在の芸能人などをネタにする)系の土壌となったのは、
>『JUNE』 のライバル誌 『ALLAN』 の読者投稿コーナーですし、
『ALLAN』!!
そうですよね、私も読者ではなかったのですが、当時、
『ALLAN』の投稿欄で、テレビドラマ(『必殺仕事人』など)について、
いわゆるやおい的見方が盛んに行われていた、
というお話は耳にしております。
>なお、中島梓のアマチュア時代の処女長編は、70年〜71年に書いた
>野球やおい物の 『背徳』 (主人公はG軍のT田)。
おお、「背徳」!!
私もこれ、強烈な印象で、タイトルまでは覚えていたのですが、
しらたまさんの書き込みを拝見して、
思わず中島梓『マンガ青春期』(集英社文庫)をひっくり返して確認してしまいました!!
p.157に詳細な記述がありましたー。
そうか、これが書かれたのは70〜71年なんですね。
p.156に、「高三になったとたん」書き始めた、とあるので、
1953年生まれの中島さんが「背徳」を書き始めたのは、たしかに70年ですねー。
アレを公開したら地球人類が救われると恐怖の大王に言われても絶対公開できない、
と書かれてますが(笑)、うーん、OさんやN島さんが登場する野球やおい…
読んでみたかったです。
>75年に
>何十作目かの作品として 『旧・真夜中の天使』 を書いています。
そう、『真夜中の天使』=(現『真夜中の鎮魂歌』)
という風に、刊行時に最初(中島さんが出版のあてもなく書かれたとき)と
タイトルが変わっているので、
私のよーな読者はここでも混乱してしまうのでした…。
ややこしいですよね。
詳細なご説明、ありがとうございます!!
とても勉強になります。
心のメモ帳にガッチリとメモして、さらに研究していきたいと思います。
ありがとうございました!!
お返事が遅れました。すみません。
前回のコメントを補足します。
> 中島梓は 『comic JUN』 創刊前から、竹宮恵子を通じて何人かのデビュー
> 前の漫画家(村田順子や高野文子など)と交友があり、当時の同人誌即売会の
> 雰囲気をよく御存知です。
↑このへんは 『マンガ青春記』 中にも記述があるはずです。
手元に本がないので、ページ数不明で申し訳ないのですが、
最後の、シメの部分(デビュー後の話)あたり。
村田順子は竹宮恵子公認FC 『さん・るーむ』 の会長で、
この当時は竹宮恵子のアシスタントになってます。
(余談ですが、さんるーむ会員番号No.1は勝谷誠彦。
現在のキャラからは想像できませんね…)
高野文子は、中島梓が筒井康隆評でデビュー(76年)後、
綺譚社に個人事務所を間借りしていた際からの交友。
(参照 中島梓のWebコラム
http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/ts5-22.htm)
中島梓他、凄まじい豪華執筆陣のミニコミ誌 『綺譚』 の
表紙イラストなど担当されてます。
ただし、 『綺譚』 創刊は79年なので、それ以前の同人活動
歴はわかりませんでした。
(Wikipediaの高野文子の項に「高校時代から同人活動を〜」
という記載がありますが、ソースは不明)
前のコメントで少し語弊のある書き方をしてしまいましたが、
上記の2名が、中島梓と同人界を繋いだ直接の人物という
意味ではありません。何人もいたらしい同人作家の友人の
例として挙げました。
竹宮恵子も、 『漫研ラヴリ』 (坂田靖子、波津彬子などが会員
だったことで有名なサークル。奇しくも【やおい】の語源は
ここから生まれたとするのが現在の定説)の会誌に寄稿して
いるので、この時期、多少同人誌に関わっていますし…。
(参照 竹宮恵子ファンサイト
http://www.eurus.dti.ne.jp/~miyabi/kt-lib/)
中島梓が同人界・即売会の様子をよく知っているのは、
『ぼくらの気持』 (79年刊)を読めば歴然としてますが、
作者後書きでも、こういった作品が書けたのは、自分の周囲に
プロ漫画家や同人作家の友人がいっぱいいるから…
というような文言があったと思います。
(これも今手元にないので、うろ覚えで申し訳ない)
他にも、本の後書きやコラムなどで、中島梓自身が言及して
いるものが複数あったような気がするのですが、なにしろ
著作物が膨大すぎて、追いきれません…。
とり急ぎ、薄い情報ですがお伝えしておきます。
私は本来 「やおい“論”」 にはまるっきり興味がないのですが、
歴史総覧というか、年譜作成の必要性は常々感じております。
これを機に、折を見て小説サイドの同人の歴史も調べてみたいと
思います。
また立ち寄らせて頂きますので、今後もよろしくお願い致します。
詳細、かつ具体的なご教示、ありがとうございます!!
>↑このへんは 『マンガ青春記』 中にも記述があるはずです。
>手元に本がないので、ページ数不明で申し訳ないのですが、
>最後の、シメの部分(デビュー後の話)あたり。
ありがとうございます!!
> 竹宮恵子も、 『漫研ラヴリ』 (坂田靖子、波津彬子などが会員
> だったことで有名なサークル。奇しくも【やおい】の語源は
> ここから生まれたとするのが現在の定説)の会誌に寄稿して
> いるので、この時期、多少同人誌に関わっていますし…。
『らっぽり やおい特集号』(1979年12月20日発行)で初めて
「やおいという言葉が書かれる形で登場した、と言われてますよね。
>中島梓が同人界・即売会の様子をよく知っているのは、
>『ぼくらの気持』 (79年刊)を読めば歴然としてますが、
あっ、『ぼくらの気持』、たしか読んだはずなのに、
すっかり失念しておりました。
私の記憶力の問題が大きいですが、まさに、
>著作物が膨大すぎて、追いきれません…。
という面もありますね……(うなだれ)。
>私は本来 「やおい“論”」 にはまるっきり興味がないのですが、
>歴史総覧というか、年譜作成の必要性は常々感じております。
年表とか年譜は、すごく大事ですよね。
>また立ち寄らせて頂きますので、今後もよろしくお願い致します。
こちらこそ、よろしくお願いいたします!
出典までていねいに教えて頂き、感謝感謝です。
ありがとうございました!!