「少女マンガの力の秘密」と題した講座を聴きに行ってきました。
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0801koza/A0102_html/A010212.html
元小学館編集者の山本順也氏のお話を、
マンガ研究者で川崎市市民ミュージアムに勤務されているヤマダトモコさんが
聞き手となって伺う、という講座です。
山本さんの略歴はこちらを
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2004/merit/yamamoto/
(2004年度文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞されています)
★★★
山本順也さんといえば、
略歴にもあるように
『少女コミック』『別冊少女コミック』など少女マンガ雑誌編集者として、
萩尾望都・竹宮惠子といったそうそうたる少女マンガ家の担当編集者として
知られたお方です。
少女マンガの名編集者、ということで
文学青年がお年を召されたような方では?と想像される方も
多いのでは、と思いますが、
山本さんはそういったイメージとはちょっと違って、
豪放磊落、という印象のお方。
でもお話を伺うと、
作家や少女マンガへの、深く、また繊細な愛情と熱意を感じました。
★★★
さまざまなお話がありましたが、
特にに印象に残ったのは、
●山本さんご自身が面白いと思う作品を載せたい、と思われた、ということ。
また、
●作家は「育てる」んじゃなくて「育つ」もの、
●編集者の仕事はその環境を用意すること。
●読者が(作家を)育てた面も大きかった
…といった言葉です。
1974年に初めて
フラワーコミックスという単行本を出すことになったとき、
1年かかって1万部売らなきゃいけない、と言われていたのに、
萩尾望都『ポーの一族』を出したら
あっというまに売り切れた、
みんな待っていたのだ、というお話。
また、
竹宮惠子『風と木の詩』が始まったときの反響は?
批判もあったのでは?
というお話になったとき、
なにより読者からの支持が支えになった、とおっしゃっていたのも
印象的でした。
ご自身は「何もしていない」というようなことをおっしゃっていましたが、
山本さんの、「環境を用意」するための尽力ぶりや、
徹底的に作家の立場に立つあり方には、
伺っていて心打たれるものがありました。
★★★
ところで、
山本さんが『少女コミック』を創刊されたときのお話を伺って
「そうか、あの頃は少女マンガ誌が、週刊で出ていたんだよなあ」
と改めて思いました。
(『少女コミック』の場合は、帰って調べてみたら、
68年の創刊時は月2回刊、
70年から週刊化しています。)
現在は、週刊の少女マンガ誌は1誌も出ていません。
私は1968年生まれで、
小学生時代には、
雑誌は月刊誌の『りぼん』を買うだけで精一杯だったせいもあるのか、
週刊少女マンガ誌は買っていませんでした
(単行本では、人に借りたり本屋で立ち読みしたりして、いろいろと読んでましたが)。
週刊で少女マンガを読む、ってどんなかんじのなのか、
体験してみたかった気がします。
★★★
「何もしていない」とおっしゃる山本順也さんが
ときには意識的に、
またときにはそうとは意識せずになさった、
たくさんの偉大なお仕事。
それを伺って言葉にして残していくことは、
マンガというものがどう作られてきたのかを知る上で、
大変重要なことだと思います。
その一端を知ることのできる貴重な機会でした。
大病をなさって体調にも不安がおありだったかもしれないのに、
エネルギッシュにお話をしてくださった山本さん、
きちんとした知識をもとにさまざまな的確な質問をしてくださった
聞き手のヤマダトモコさん
そして、
講座を企画してくださった朝日カルチャーの担当者さんに
お礼を言いたい、そんな講座でした。