この春に発売されました、
斎藤環さんの
『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』(NHKブックス)
という本があります。

語るのが難しい母と娘の関係に斬り込んだ、たいへん示唆深い本です。
少女マンガに興味のある方は、
第二章の『少女まんがと「母殺し」問題』は必読かと思います。
精神科医である斎藤環氏は、
『戦闘美少女の精神分析』というオタクに関する著作をおもちであり、
また野火ノビタ氏の『大人は判ってくれない』におさめられている対談や解説でも
「やおい」について言及しておられます。
今回の本でも、母と娘の関係の複雑さと関連しつつ、
「やおい」にもかなりつっこんだ言及がされています。
個人的には、「やおい」に関しての以下の説明に共感しました。
「やおい」というジャンルの成立に関する私なりの見解は第三章で詳しく述べますが、私はこのジャンルの成立においては、対幻想からの逃走と、純粋な関係性だけがもたらす享楽の追求が重要であると考えています。(p.101)
(強調は引用者による)
特に、
「純粋な関係性だけがもたらす享楽の追求」というご指摘には「そうそうそう!」と膝を打ちました。
また、多くの場合、女性が創作して女性が楽しむことが多い「やおい」に描かれるのは、
なぜ「男同士の愛」なのか?という(非常に多くの人が抱く)問いに対して、
斎藤氏は、次のように説明します。
ではなぜホモセクシュアルなのか?ここで詳細に語ることはしませんが、私はそれがフェミニズム的な意識に根ざしているとは思えません。むしろ快感原則を追求していくうえの、純粋に機能的な要請による、と考えています。
どういうことでしょうか。ひとつには、女性キャラクターを徹底して排除するためです。女性キャラクターの存在は、純粋な関係性の享楽にあっては不純物でしかありません。それはなまじ読者と同性であるがために、女性視点への同一化を誘いやすい。それはしかし、自由な同一化を行ううえでは、つまずきの石でしかないのです。
もうひとつの理由として、「攻×受」の関係性を純粋かつリバーシブルに展開するには、男性同士の組み合わせしかありえない、という点も重要です。これは一人の男性が、その身体的な構造上、「挿入する側」と「される側」をともに兼ねることができる、という意味でもあります。(p.137)
かつて私がNIKKEI NETの連載でボーイズラブをとりあげたときには、
http://woman.nikkei.co.jp/culture/lecture/lecture.aspx?id=20050101sb316sb<「性差をなくしたところで、恋愛の話が読みたい」という(ヘテロセクシャルにとっては)無茶な願いをかなえてくれるのがボーイズラブ>
という意味のことを書いたのですが、
この斎藤氏の説明は、
「じゃあ、なぜ男同士?」
という疑問に対しての、
かなりクリアな説明なのではないかと思います
(もちろん、最近のボーイズラブ作品には、
女性が主要な登場人物として描かれるものも増えてきているので、すべてこうだ、
というわけではありませんが)。
そして、以下のご指摘には「おお!」と思いました。
母親の価値規範の影響は、父親のそれに比べると、ずっと直接的なものです。母親は娘にさまざまな形で「こうあってほしい」というイメージを押しつけます。娘はしばしば、驚くほど素直に、そのイメージを引き受けます。この点が重要です。価値観なら反発したり論理的に否定したりもできるのですが、イメージは否定できません。それに素直に従っても逆らっても、結局はイメージによる支配を受け入れてしまうことになる。母親による「女の子はかくあるべし」という、イメージの押しつけの力は馬鹿にできないのです。(p.109)
(強調は引用者による)
ここで語られているのは、母と娘の間のことですが、そこを離れても、
価値観なら反発したり論理的に否定したりもできるのですが、イメージは否定できませんというご指摘は、
映像時代を生きる私たちの社会全体に通底するものだなぁ、と感じました。
実はつねづね、
拒絶を意味するものして、
なんて残酷な言葉なんだろう、と私が思っているのが
「気持ち悪い」という言葉なのですが、
まさにこれは「イメージ」と密接に結びついているが故に、
誰かに対して投げつけられたとき、
「反論」してもくつがえせない、「反論」が意味をもたない、という点で
強く徹底した残酷さをはらんでいる気がしていました。
否定が難しいがゆえに
本来、非常に「取り扱い注意」なはずの「イメージ」というものが、
ものすごく大きな力をもっている、
ということに自覚的になると、
そのことで、いろんなことが、
クリアになってくる気がしました。
ハンディで軽い本ですが、内容は濃く、入手しやすい価格も嬉しいです。
表紙は、よしながふみさん。
こういった問題に感心のある方には
ぜひ手にとってみて欲しいです。
★★★
実は、斎藤さんには、
研究会等のつながりでほんの少しだけささやかすぎる助言(ともいえない程度のささやかさです)させていただいたところ、
なんと贅沢なことに、
斎藤さんから今回、ご献本いただき(ありがとうございます!)、
あとがきの謝辞で名前まで挙げて頂き(しかも、藤本由香里さんと、金田淳子さんにはさまれる形とは…!!これまた身に余る贅沢!!)
恐縮しております。
ありがとうございました。
★★★
そして、朝日カルチャー新宿では、
こんな講座もあるそうです。
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=30287母は娘の人生を支配する
− なぜ「母殺し」は難しいのか
精神分析科医 斎藤 環
8/5ゲスト・原宿カウンセリングセンター所長 信田 さよ子
火 19:00-20:30 全2回
日程
7/29, 8/5
受講料
7-8月(2回) 会員 6,090円 一般 7,350円
講座内容
娘を過剰な期待で縛る母、彼氏や進路の選択に介入する母・・・。娘は母を恨みつつ、なぜその呪縛から逃れられないのか?
臨床ケース・事件報道・少女漫画などを素材に、ひきこもり、摂食障害患者らの性差の分析を通して、女性特有の身体感覚や母性の脅迫を精神分析的に考察し、母という存在が娘の身体に深く浸透しているがゆえに「母殺し」が困難であることを検証します。「自覚なき支配」への気づきと「自立」の重要性を説き、開かれた関係性に解決への糸口を探ります。
2回目は、ゲストに信田さよ子氏を迎え、母娘関係について、それぞれの立場から語り合います。